Wish
act 10
「ハリー!ハリーさーん!」
呼んだ自分の声が、何重にも重なってコダマになって返ってくる…そんな山奥で暮らし始めて早数か月。
ここに辿り着くまでは、足の向くまま気の向くまま…あちこちを放浪して歩いていた。
あの屋敷に住んでいた頃はこんな風に旅に出るなんてこと考えたこともなくて、その新鮮さに憑かれた様に初めて見る景色を楽しんでいた。
でもそのうち…失ってしまったモノに対する虚しさが、そんなものでは埋まらないんだという事に気が付いて、途方に暮れた。
そんな時だった。
気が向いた時だけ山奥の別荘に趣味の絵を描きに行く…という、不動産収入だけで悠々自適で暮らしている老人と旅先のホテルで知り合った。
僕の無気力振りを気にかけたその老人は、自分が所有しているその山奥の別荘で暮らしてみることを勧めてくれた。
そこは空気がきれいで景色もよく、不思議と気持ちが落ち着いて心が穏やかになっていくのだ…と。
半信半疑ながらも、勧められるままにこの別荘に来てみると、老人が言った通り虚しさでさざ波だっていた心の中が、少しだけ穏やかになった。
「ハリーさーーん!」
もう一度、その名前を大声で呼んだ。
いつもなら呼び声に反応して鳴き声を返してくるのに、今日はその気配が全くない。
きっとなにか獲物を見つけて夢中になっているのだろう。
ハリーは、ここへきてすぐに拾った大鷲だった。
羽を傷つけて飛べなくなり衰弱しかけていたのを見つけて連れ帰って以来なぜか懐かれ、怪我が治った今でも僕のそばを離れようとしなくなり今に至っている…同居鷲というかペットというか…そんな存在だ。
ハリーの世話をしている間だけ、僕の中の虚しさがほんの少しマシになった。
寄り添ってくれるハリーの温もりが、かつて自分の支えになる様に…と抱え込んだ温もりとよく似ていたせいかもしれない。
「ま、どっちみち家までもうすぐだし、いっか」
呟いて、いつもの散歩コースの続きへと足を踏み出した。
放浪している間にいつの間にか体力もついていたようで、高低差のあるこの山歩きの散歩も日課にすることが出来た。
今ではずいぶんと散歩の距離も伸び、半日くらいは山歩きで過ごしているほどだ。
不安のあった発作もこれまで一度も出ていない。
最近ではハリーを追いかけて、少しの距離なら走ることすらある。
その変化には自分で目を見張るほどだ。
山奥とはいえ別荘と名のつくだけに、水も電気も不自由なく通っていたし、驚くことにネットまで繋がっていた。
ここを貸してくれている老人とも近況をメールでやり取りし、少し前には久しぶりにエミューとも連絡を取った。
あれから多少の動きはあったらしいが、あの手この手で脅しをかけたようで、今では大人しすぎてつまらない…とエミューから愚痴が出るほどになったらしい。
正式に社長になったガラード元常務は、ものの見事に会社を建て直し、今では以前より勢いのある成長ぶりを見せている…と聞いてホッとした。
アリア女史は僕の予想に反して会社を辞め、僕の屋敷で研究を続けるドクターの元でその研究成果を世に出すため奔走している…と聞いて驚いた。
まぁ彼女の持つバイタリティを鑑みれば、研究一筋なドクターにとっても有益な結果になるだろうことが予想でき、思わぬ副作用ともいうべき繋がり方に口元が緩んだ。
…と、まぁ、近況を聞いたのはそこまで。
一番気になっているはずの彼の名前を、僕は結局出すことが出来なかった。
口に出してその名前を言ってしまうと、堰を切ったように押しとどめている思いが溢れてきてしまいそうで…。
心の奥底でずる賢く何かを期待している自分を自覚してしまいそうで…怖かったのだ。
やがて木々が切れ、見晴らしのいい小高い丘の上に出た。
そこは今住んでいる別荘の裏手にあたり、一番のお気に入りの場所だ。
ぐるっと山を一周して戻ってくる散歩コースでの、最後の休憩地点。
ゴロリ…と寝そべって、降り注ぐ暖かい日差しを全身で感じながらまどろむのは、本当に気持ちがいい。
感じる暖かさを抱え込む様に背を丸めてしまうのも、いつもの癖。
同じものは得られないと分かっているから、似たようなものにすり寄ってしまう。
ハリーも、やっぱりそうなのかな…と、小さな溜め息がもれた。
いつものようにしばらくそのまま寝入ってしまったようで、夢の中で懐かしい爆音を聞いた気がしてみじろいだ。
肌に感じた冷たい風にふと目を開けると、あんなに晴れ渡っていた空一面に灰色の重い雲が広がっていた。
天気の変わりやすい山の上ではよくあることで、慌てて体を起こしてもう一度ハリーを呼んだ。
「ハリー!ハリーさーん!」
重く湿り気のあるモノに変わった空気の中ではその声も遠くまで届きそうになく、あきらめて立ち上がろうとした途端、ザザ…ッ!と後ろにあった木立からハリーらしき鳥影が飛び立った。
「ハリーさん!?」
ようやく戻ってきたのか…と振り向いて、そこに立っていたものが視界に入った途端、目を見開いた。
「居た…!」
聞こえた声と目の前に立つ存在感が、幻なんかじゃない本物のジギーだと、僕の五感に知らしめる。
ドクン…ッと、久しぶりに大きく鳴る心臓の音を聞いて震えが走った。
「なんでこんな山奥に居るんですか!?あなたは!?」
久しぶりに聞いた声のはずなのに、あまりに耳に馴染んだその怒声が染み渡る様に体の中へ流れ込んでいく。
「おかげで探し出すのに半年以上かかったじゃないですか!ふざけないでください!!」
聞こえている言葉は理解できているのに、体が反応しきれない。
だって、いきなりこんな唐突に、なんて…夢じゃないのかって、そう思ってしまうじゃないか。
「え…うそ…」
呟いた言葉に痺れを切らしたように、伸びてきた腕に両肩を掴まれた。
「嘘ってなんです!?ここに辿り着くまで俺がどれだけ苦労したと…!」
その言葉がバサバサッ!という音と共に遮られる。
上空から勢いよく滑空してきたハリーが、僕の肩を掴んだジギーを害をなす敵と判断したんだろう、襲いかかってきたのだ。
「うわ…っ!」
上がった叫び声に、襲われているその体を庇うように身をよじった。
「ハリー、ストップ!!敵じゃないから!大丈夫だから!!」
叫んだ僕の言葉を理解したように、一度上昇したハリーが今度はゆっくりとスピードを殺して降りてきて、バサッ!と僕の腕に乗った。
「っ、なんですか…それ…!?」
息を呑んだ様な声音に苦笑が浮かんだ。
大鷲なんて、普通間近で見る機会などないから当然の反応だ。
「驚かせてごめんね。この子はハリーさん。今の僕の同居人…ってとこかな」
そう言って腕を少し掲げ上げ、いつものようにハリーのクチバシに唇を寄せ、親愛の意味を込めてキスをした。
「!?」
大きく目を見開いてその様子を見つめるジギーに向かいハリーが甲高い鳴き声を一声上げると、再び空へと飛び立って丘の下にある別荘へ向かって滑空した。
同時に、ポツ…ッと大粒の雨が落ちてきた。
「うわ…降ってきた!下の家まで走るよ!」
「え!?」
驚いたような声を上げたジギーにちょっとだけ意味深な笑みを投げて、僕は丘を駆け下りた。
バタンッ!とドアを勢い良く引き開けてジギーと二人家の中へと転がり込んだ瞬間、ザア…!と言う音と共に土砂降りの雨が降り出した。
走っていなければ今頃ずぶ濡れになっているところだ。
「っ、は…、やっぱ、全力疾走は…、結構、きつ…!」
閉めたドアに背中を預けて座り込み、僕は早鐘のように打つ心臓を収めるべく、深呼吸を繰り返した。
「大丈夫…なんですか!?」
僕の前に膝をついたジギーが、さっきまでの責め口調を一変させて心配そうに僕を見つめてくる。
同じ距離を全力疾走してきたはずのジギーは、少し息が乱れている程度で、その差は歴然。
でも、以前に比べたら僕の方は大躍進的な進歩だ。
「はは…、まだ全然君には及ばないけど、でも…、走れるようになったし、発作も、あれから一度も出てない…!」
「一度も…!?」
「そ、驚いた…?」
ようやく落ち着きを取り戻した呼吸に安堵のため息をつきつつ、にっこりと微笑みかけた。
すると、なぜか視線をそらされて…そのままジギーは僕と並ぶようにドアに背中を預けて寄りかかり、立てた膝の中に顔を隠す様に埋めてしまった。
「…俺は、あなたにとって何だったんですか?」
「え…?」
「あんな風に何も言ってくれずに…簡単に…捨てられるくらい、どうでもいい存在だったんですか…!?」
震える声音で言われた言葉に息を呑んだ。
捨てる?どうでもいい?意味が分からない。
「は…?なに…それ?」
「だってそうでしょう!?教会の債権や俺の給与、屋敷のことや仕事の事、どれ一つ、あなたは俺に話してくれなかった…!」
「それは…!」
言いかけて言葉が止まった。
ジギーの言うとおりだ…僕は何一つ彼に話さなかった。
「ずっと一緒に居たのに…!誰よりも近くに居たのに…!これからもずっと側に居られると思っていたのに!そんな風に思ってたのは俺だけですか?!全部俺の独りよがりに過ぎなかったんですか!?」
「違う…!そんなわけ…!」
堪らず、伏せた顔を覆うように置かれていたジギーの腕を掴んでいた。
「何が違うんです!?」
不意に上がったその顔が、今にも泣きだしそうに歪んでいる。
「違う、全部違う!なんでそうなる?どうして…!?」
「あなたが勝手に居なくなるからでしょう!?」
睨み付けるように言い放たれて、悔しくて、悔しくて堪らなくなった。
「勝手?何それ?こっちだって好きで居なくなったわけじゃない!」
「だったら、そう言ってくれれば良かった!俺にひとこと言ってくれれば…!」
「ジギー!!」
我慢できずにその名前を叫んで、ドアに押し付けるように両肩を掴んでいた。
その名を呼んでしまったら、気持ちが溢れてしまう…!そう思って我慢していたのに。
「どうして僕にそんなことが言える!?ただでさえ君の自由を奪い、束縛し続けた僕に、そんなワガママ言えるわけがないだろう!?だから全部消したんじゃないか!そんな風にしか関われなかったすべての元凶を!」
「元凶を…消す…?」
「そうだ!君と僕が関わった全てのもの、全部だ!」
「まさか…それが理由…?」
「ジギーに、自由になって欲しかった…自由になって選んでほしかったんだ!」
思い切り叫んで、ジギーの肩を突き放した。
そうだ…姑息な僕は自分からジギーを切り離しておいて、その実、ジギーが自分を捜しに来てくれるのを待っていた。
すべてから解放されて自由になっても、ジギーは僕を選んでくれるんじゃないかと期待して。
ジギーに必要とされていると…そう信じたくて。
「選ぶ…って何をです?」
眉間にシワを寄せ、呟くように言ったジギーが、不意に身を乗り出して僕の方へ詰め寄った。
「あなたは全然わかってない!俺は一番最初に会った時からあなたを選んでいた。あなたの側に居ることを自分で選んだのに…!」
「え…?」
思わず目を見開いた。
自分で選んだ…?それって…?
「覚えてないんですか!?あなたは最初俺を雇ったわけじゃない!怪我が治るまで治療を受けさせる…そう言っただけだ。仕事をするかどうかの判断は俺に決めさせた…!」
「!」
言い放たれて唖然とした。
確かにそんなことを言った記憶がある…でも、あの状況でジギーが本当に自分で選んだかなんて、そんなことあの時の僕には分からなくて。
だけど本当にそうだったのなら…それなら…!
「ついでに言わせてもらえば、俺は自分がやりたくないもないことをやったりしない!ずっと一緒に居たくせに、あなたは俺のそんな性格も分かってなかったんですか!?」
「あ…」
そう…だった。
ジギーは、昔から嫌なことは嫌だとはっきり言った。
「…はは、そうだ…分かってた。分かってたよ。でも…!」
僕は詰め寄っていたジギーの胸元を掴んで、勢いよく床に押し倒した。
「痛…っ、なにす…!」
抗議の声を上げたジギーの上に馬乗りになり、両肩を押さえ込んで真上から見下ろす様に言い募った。
「ジギーは、嫌な事ははっきり言うくせに、好きな事ははっきり言えない…言わないよね!?」
「!」
ハッとしたように目を見開いたジギーの瞳が、僕から視線を反らそうと揺れる。
そうはさせじと顔を間近に寄せ、僕は更に言い募った。
「ジギー、ちゃんと言え。君は誰が好きなの?」
「っ、」
息を呑んだジギーの顔が、射る様に見つめる僕の視線から逃れられずに徐々に赤く染まっていく。
その言葉が、僕のせいで長いことジギー中で禁忌に近い言葉になっていたのを知っているだけに、こうやって面と向かって問いかけることは酷だとは思う。
でも、それでもやっぱり、一番聞きたい言葉であることに変わりはない。
「ジギーの方こそあんなに長く一緒に居たのに、僕の事が全然分かってない。僕はね、まだ誰からもその言葉をもらったことがないんだ」
「あ…!」
言われて初めて気が付いたように、ジギーの瞳が大きくなる。
「それをくれるのは誰なのかな?」
そう言ったら、はぁ…っと深呼吸して一瞬目を閉じたジギーが、次の瞬間目を開けて挑むような視線を僕に向けた。
「俺は、あなたが好きなんです!ラルゴ…!」
言葉そのものを叩き付けるような、潔い告白。
ようやくもらえたその言葉と呼ばれた名前に、目を見開いた。
ずっとロイドとしか呼ばなかったくせに、何だってここでその名前を呼んでくれちゃったりするかな?
「…ジギー、男前過ぎ。しかも生意気に反則使うし…!」
「俺だって、かなり勇気が…!」
言い放った時は男前だったのに、言った瞬間、カァ…!と真っ赤になったジギーがどうしていいのか分からない…と言いたげに視線を泳がせる。
なんだろうね、この可愛さとさっきの男前のギャップ。
あぁ、もう本当に敵わない。
「やっぱジギーは可愛いなぁ…!」
思わず呟いて笑いかけると、真っ赤な顔のまま少しムッとした様に僕を見上げてきた。
「あ…あなたはどうなんです!?俺はこの半年もの間ずっとあなたを捜し続けて、やっと探し出せた。なのにあなたは…!あなたはどっちを選ぶんです!?」
「え?どっち…って?」
「何ですかあの鳥!?新しい同居人?もう俺は必要ないとでも言いたいんですか!?」
「は…!?」
一瞬意味が分からなくて、でも理解した瞬間、盛大に吹き出していた。
「ぶ…!ハリーさん!?なに?ハリーさんに嫉妬してるの!?ジギー!?」
言った途端、不意に僕の胸元を掴んで体を引き起こしたジギーが馬乗り態勢だった僕の体を引きはがして対峙すると、責めるように言い募った。
「笑い事じゃない!俺はこの半年あなたのことしか考えてなかったのに、それなのにあなたは…!」
「ああ、もう…!」
こういう可愛さも、本当に反則だ…!と思いながら首筋に手を回しその体を思い切り抱きしめた。
「っ、」
驚いたように息を呑んだジギーの耳元に唇を寄せ、囁く様に言った。
「好きだよ、ジギー。僕がこの半年何を考えてたか、教えてあげようか?」
合わせている胸から伝わるジギーの心臓の音が早くなり、触れている耳朶がさっきより熱くなる。
小さく頷き返されて、首筋に回していた手を解いてジギーの両頬を包み込み、額を合わせるように顔を移動した。
「…約束したの、覚えてるかな?」
視線を合わせてその瞳を覗き込むようにして聞くと、怪訝そうな色が滲んだ。
「…約束?」
「そ。そのために我ながら頑張ったんだけどな。走れる様にまでなったし」
「…?」
眉間にシワが寄り、必死に記憶をたどっているのだと知れる。
自分で言っておいて忘れるなんて、ちょっと薄情過ぎないかな?
「体がよくなったら、ジギーを襲うこと…!」
「あ…っ!!」
思い出したように小さく叫んだジギーに、少し意地悪い笑みを浮かべた。
「思い出した?薄情なジギー。それともそういうことを気にしてたのは僕だけなのかな?」
そう言うと、不意にジギーの瞳にその色が濃くなったかのような静かさが浮かんだ。
「…まさか」
聞こえた静かな口調とともに合わせた視線を捕らえる瞳に力がこもって、不覚にもこっちまで鼓動がわずかに早まった。
「…メガネ、外していいですか?」
言うと同時に伸びてきた指先に、かけていたメガネを取り払われた。
視界がぼやけて、ジギーの顔がよく見えなくなるのが惜しくてたまらない。
「あぁ…邪魔だよね」
ちょっと残念そうに言うと、ジギーの指先が僕の目元をなぞった。
「違います。あなたは人前で滅多にメガネを外さないから…メガネのないあなたの顔は自分だけの物の様な気がして…その、あなたに内緒でキスしてた時もメガネは外していたから…」
「え…」
思いがけない告白に、メガネをかけているのもまんざら悪いことばかりじゃないな…と思えて笑みが浮かんだ。
「そっか。じゃあ、ジギーに今の顔あげるよ」
「もうとっくに俺の物ですけどね」
「うわ…ホント、生意気なんだけど…!」
なんだか凄く幸せな気持ちでジギーの唇に触れた。
最初は軽く触れ合わせてその感触を味わうと、やっぱりなんだか懐かしい感じがして凄く落ち着く。
ついばむ様に触れ合っていたのが物足らなくなって、徐々に舌を絡めて深くて長いキスになる。
「ジギー」
息継ぎの間にその名を呼ぶと、こんな時でもジギーは律儀に「は…いっ…」と返事を返す。
その声がいつもと違う熱を帯びた色合いを含んでいて、なんだか嬉しい。
うなじから差し入れた指先で髪をまさぐると、指に馴染んだ以前と変わらない根元の柔らかさと少しごわつく毛先の感触。
気が付くとジギーの指先も、僕の髪の感触を楽しむ様に触れている。
そんな風に髪に触られたことは今まであまりなかったけれど、その触れ方がいつも自分がジギーの髪に触れている時の仕草だと気が付いて、あぁ…と思った。
心地が良い…。
僕が髪に触れるたび素直にその仕草を受け入れていたジギー思い出し、ジギーもこんな風に心地良いと感じてくれていたのだろうかと思うと、子ども扱いしていると罪悪感に苛まされていた気持ちがスゥ…と消え去っていく。
けれど、不意にジギーの指先に少し強引に髪を引っ張られてキスを解かれた。
「なに…?」
不満気に言い募ると、ジギーが落胆したように溜め息を吐いた。
「すみません…一つ、言い忘れてました。実はアリア秘書達ももうすぐここに…」
「え!?」
「アリア秘書に居場所が分かったら知らせる約束をしていて…その、まさかあなたとこんな風になれるなんて思っても…」
ジギーがその言葉を言い終わらぬうちに窓から眩しい光が射し込み、少し弱くなったらしき雨音に交じって聞こえてきた車のエンジン音。
同時にバタン…ッ!とドアが勢いよく引き開けられ、ライトの逆光に照らされた仁王立ちのシルエットが浮かび上がった。
「ロイド専務…!」
聞き覚えのあるその声音に、メガネがなくて視界が利かない僕でもそれが誰であるかはっきり認識できる。
「アリア君…!?」
「こんなところで半年もサボってるなんて、どういう了見ですか!?」
目の前に居たジギーを邪魔とばかりに押しやったアリア女史が、鬼の形相で僕に向かって言い募った。
「さっさと帰ってドクターの研究をもとに起業、ガラード常務を鼻であしらえる位の大会社にしていただきますから!」
「ええ!?」
「ガラード常務の下で働けとかふざけたことを言った当然の報いです!ジギー、この人を車に乗せて!帰るわよ!」
言いたいことだけ言い放ったアリア女史が踵を返して、ドアの外…ピンクエレファントの車へと戻っていく。
唖然としてその後ろ姿を見つめた僕の前に、ジギーの手が差し伸べられた。
「…今度は、あなたが選んでください」
「え…?」
「俺の手を取るかどうかを」
その言葉に、ハッとしてジギーを見つめた。
思えば一番最初に会った時、僕が先に手を伸ばし、それにジギーは応えてくれた。
あの時からもう僕を選んでくれていたのかと、改めて気づかされる。
「傷だらけだった俺に手を伸ばし、守ってくれたのはあなただけだった。今度は俺があなたを守りたい」
「…僕を守る?」
「はい。どこにも逃げなくてすむように」
それって、逃げても逃がさない…ってことじゃないのかな?と、思わず苦笑が浮かぶ。
そして多分、これから先何度同じことがあったとしても、君は…。
僕は伸ばされたジギーの手を取った。
力強く握り返され、体を引き起こしてくれる温かなその手を。
「もう逃がしませんから、覚悟してください」
「覚悟するのは君の方じゃないかなぁ?ジギー?なにしろ僕は…」
バサ…ッという音と共に開け放たれたままのドアから飛び込んできたハリーが、伸ばした僕の腕にふわりと乗った。
「ハリーも手放したくない浮気性みたいだからね」
「!!」
大きく見開かれたジギーの瞳の目の前で、僕はわざとらしくハリーとキスをした。
END
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