エド15歳、アル30歳の物語。
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エドワードの毛布
  
Edward' security blanket

2013/05/03 スパコミ新刊
A5 90P 900円  R18
表紙 染
叶 逢樹 個人誌
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あらすじ

等価交換の原則に従い、兄の細胞は分解され再構築され、
アルフォンスの細胞へと作り変えられた。
エドワードが行った錬成をアルフォンスが見抜いたときには、
兄だった人の姿はもう、どこにも見当たらなかった。
代わりに残されていたのは、まだへその緒を体に繋げたままの赤ん坊だった。

それから十五年。

アルフォンスを養父として成長したエドワードは、
自らの出生の理由を知らずにいた。
穏やかな町での二人の生活は、セントラルへの旅路を経て、
大きく変動していく。
 
アルフォンスが一度も語ることのなかった過去を知るため、
動き出したエドワードは、ついにその起源へとたどり着くが……。


「頼むから。……自分の命を大切にして。きみの存在は僕の生きる理由だから」

「じゃあオレが今、どうしたいと思ってるか、アルにわかる?
 ……オレは。……オレは今、アルに、キスがしたい」





*小説サンプル*








 宿屋の女将はその二人が気になって仕方なかった。
 片方はまだ青年と言う言葉が憚られるほどの若い男の子で、短い髪も瞳も不思議に淡く輝く金色だった。向かい合わせに座っている子供も同じ瞳と髪の色をしているが、こちらはこれまた随分幼い。
「ああ、ダメだよ兄さん。それじゃあスープがこぼれちゃう」
 木製スプーンをスープ皿に入れてぐしゃぐしゃにかき回す子供の様子を嗜めながら、青年は向かい側から手を沿え、子供の口へとスプーンを運んでやった。一口飲み込むごとに子供は握っているスプーンを相手の口へと逆に持っていこうとする。
 何でも物真似したい年頃なのか。
「うん、ありがとう。でも僕はもう自分の分を飲んだから、あとは兄さんが飲まなくちゃ。……これくらいたいらげないと大きくなれないよ?」
「やーだ」
「……んもう、兄さんたらさっきからふざけてばかり」
 女将はさり気なくテーブルの水を継ぎ足すふりをして二人の側へ近づいたが、すぐに青年と目があった。その子はこちらを見ると穏やかな笑顔を見せた。良い家柄で育った人間の匂いがする。
「……お客さんたち、見慣れないねぇ」
 愛想笑いを浮かべる必要がないほど、女将は自分が自然と笑顔になっていることに気づく。それほどに彼らの様子が微笑ましいと感じたからだろう。聞かれたことにたいしてしかし青年は逆に質問してきた。
「そんなに気になりますか、僕がこの子を兄さんと呼んでいることが」
 どきりとせずにいられない。しかしこれでもじろじろと眺めるようなことはしなかったはずなのだがと、女将は考えていた。
「……ああ、いや、まあねえ。……こんな夜遅くにあんたたちみたいな旅人が宿を求めてきたことじたい、とても珍しいからね」
 しどろもどろに理由を述べると、青年は穏やかな表情を変えずに言った。
「ただ単に、気持ちの問題ですよ。小さい子供が一日に何度も粗相をしたら、どうして僕ばかりがこんな悪戯っ子の面倒をみなければならないんだとイライラするけれど、この子を兄だと思い込めば、兄弟なんだから下は上のとばっちりを受けても仕方ない、と諦めることが楽になるので。……ただ、それだけですよ」
 なんとも理論的に見えて奇妙な考え方に、女将はどう反応して良いのかわからなかった。
「宿帳にあった名前はアルフォンスさん……でしたっけ」
「そうです、でもアルでいいですよ。……この子はエド。僕のやんちゃな兄さんです」
 なんとか皿を空にした子供を椅子から下ろすと、青年は子供の頭を撫でた。
「全部食べたね、えらいね」
 大きな手のひらが頭全体で動くのを子供はくすぐったそうにしていた。
「あんたたち、本当の兄弟なんだね」
 二人が横に並び、その肌や髪の色、瞳の色を交互に見て、改めて女将は呟いた。

 ……彼らの珍しい容姿は、その後何年経っても忘れられなかった。

 

 気づけばアルフォンスは十八歳になっていた。
 あの日からもう三年が経過していた。
 当時乳飲み子だったエドワードも当然三歳になるはずだったが、通常より成長が遅く二歳程度の身長で、言葉の発達も酷くゆっくりしていた。イエスとノーがどうにか言える程度で、他のことについては身振り手振りで意思を伝えてくる。これには日々アルフォンスも苦労させられていた。言葉が十分に出ないのは知能に障害があるせいではない。ただ単に本人が話そうとしないだけだった。試しに言葉を覚えるための簡単な絵本を与えてみたら、ABCの文字が一ページごとにひとつずつ紹介されているそれをぱらぱらとめくりながら「あのお菓子をちょうだい」だの「昨日着た服が着たい」だの、エドワードは完全な文法順に文字を指差した。単語は完璧どころか、三歳をとっくに越えているほど記憶しているらしい。
 この興味を発音にも発展させたいとアルフォンスは考え、できるだけエドワードに言葉を多く話しかけるようにしていた。耳で聞き覚えたものは、そのうち自然に口にするようになるのではないかと予想して。
 しかしエドワードは手ごわい子供だった。アルフォンスはそれに数ヶ月を費やしてみたがやはりエドワードは話そうとしない。代わりに黒板とチョークを持ってきて、自分の意思を書きこむことができるようになった。一番最初に書いてきたのは「おなかがすいた」だった。アルフォンスは必死になるばかりの自分の焦りをその、黒板に書かれた文字でリセットされたように感じ、もう笑うしかなかった。
「兄さんはやっぱり兄さんだなぁ……僕が何を言おうが、自分の興味以外に耳を傾けようとしない」
 椅子に座らせ焼きたてのパンを与えると、早速小さな口で満足そうに頬張るエドワードを見て、アルフォンスは力なく微笑んだ。
「……やっぱり兄さんの魂なんだね」
 テーブルの上に両肘をつき、小さな子供を眺めながらアルフォンスは囁く。
「あなたはすごいひとだよ、兄さん。……僕らは何も、失っちゃいない……今だって」
 瞳を閉じて、アルフォンスは三年前を思い出した。
 弟を錬成するために、自らの体を代価として差し出した兄のことを。
 等価交換の原則に従い、兄の細胞は分解され再構築され、アルフォンスの細胞へと作り変えられた。エドワードが行った錬成をアルフォンスが見抜いたときには、兄だった人の姿はもう、どこにも見当たらなかった。……代わりに残されていたのは、まだへその緒を体に繋げたままの赤ん坊だった。
 漸く兄のしたかったことがわかり、アルフォンスは激怒し、泣き、そして途方に暮れた。自分たちは天涯孤独の身の上だった。父の行方は分からず、母は随分前に亡くなり、そしてアルフォンス本人は禁忌を犯した代償として、長く体を失っていた。兄が言っていた「必ずおまえの体を取り戻す」の意味を、アルフォンスは違うものと理解していた。しかしそうではなかったことを、全てが終わったあとになって知ったのだ。
 錬成後のエドワードと共にアルフォンスは長い旅に出た。
 道は特に決めていなかった。兄の体を元に戻すことだけを考え、人体錬成のさらなる鍵を求めてひたすら歩いた。エドワードと違い、アルフォンスは真理を見ていない。それを知ったものだけが得た知識が、きっとどこかに文献として残っているのではないかと考え、行く先々で尋ね歩いた。当然得られるものはほぼ皆無に近く、かわりに兄は一般的な子供として成長していった。


 ある日のことだった。
 エドワードは町中を過ぎたところでアルフォンスの手を握ったまま、一言つぶやいた。
「お父さん」
 アルフォンスは目を丸くして小さな頭を見下ろすと、金色の瞳がはっきりと自分を見つめていた。
「お父さん」
 もう一度呼ばれ、それが自分へ向けて告げられた言葉だと理解する。先程通りすがりの子供が自分の父親に向かって何かをねだっていた、その言葉をなんとなくアルフォンスも耳にしていたが、兄は全く違うものをそこに捕えたのだろう。自分が子供ならば求めてあたりまえの存在だと、本能で知ったのだ。
 震えるほどの衝撃だった。
「……兄さん」
 もうここに、自分の知っていた、かつての兄はいない。
 この幼い魂は、まっさらな人生を今、生き始めたばかりなのだ。
 息を呑み、一言告げたあと、アルフォンスは唐突な眩暈に襲われ、近くにあったベンチへと縋るように腰を下ろした。子供はその隣へ当たり前のように腰かけ、ぴたりと体を寄せてくる。
「……僕は……きみの父さんじゃない。……でも……父さんが欲しいの?」
 アルフォンスが問いかけると、エドワードは不思議そうに見つめてきた。きっと意味をよくわかっていないのだろう。
「……いいよ。僕のせいできみが失ってしまったものは全部、与えられる限り、僕があげる。兄さんが必要なら、僕は母さんにでも父さんにでもなってあげるよ。……この年で息子を持つのは、ちょっと動揺したけどね」
 アルフォンスは苦いものを飲み込むような気持ちで笑った。今兄がこうしているのは自分のため。弟を大切に慈しんでいた、彼の想いすべてを引き換えにして自分のこの身は生まれ変わった。アルフォンスは嘆きと愛を同時に知った。愛情とは、これほどの痛みを伴うものなのかと、胸を掻き毟る思いで現状を理解した。怒りと、やるせなく行き場のない想いに体中の血液が沸騰するかと思ったが、やがて終着を迎えた。そうとも。自分は生まれ変わったのだ。そしてこの子も。
 自分たちは新しい生き方を模索していかなくてはいけないのだ。

 アルフォンスは隣の体温を感じながら決意した。
 もう、錬金術に関する研究に思いを馳せる気持ちは封印しよう、と。