Wish
act 2

「うー…いてて…」

 出社用に迎えに来た車に乗り込んで、開口一番うめき声に近い声をあげた。

「どうなさったんですか?」

 いつものようにきっちりとしたスーツで全身を包んだ秘書・アリア女史が、運転席からバックミラー越しに問いかけてきた。
 以前は僕と同じ営業職でバリバリ仕事をこなしていたが、帰宅時間が深夜になること事を気に病み、飼っている犬の病気を理由に退職したいと言いだした。
 それは余りにもったいないと思って、専務取締役に昇進した際に引き抜いて秘書をやってもらっている。

「いや、飛んできたシーツ爆弾に首筋をやられちゃってねぇ…」
「それはそれは…お可哀想そうに」
「アリア君?なんかそれ、ぜんぜん可哀想って思ってないでしょ?」
「まさか!あの真面目一徹で有能な世話役のジギーが、主人に向かってシーツ爆弾を投げつけなければ済まない様な事をなさったわけでしょう?ジギーの災難を思うと可哀想で…」
「え?ジギー?可哀想なのはジギーなわけ!?」
「あら、他にどなたか可哀想な方がいらっしゃいましたか?」

 あまりに涼しげにそう言いきられると、反論する気力も湧いてこない。
 どうしてこう、僕の周りには僕をないがしろにする様な人種ばかりなんだか…。
 まぁ、人選したのは僕自身であって、自業自得と言われればそれまでなんだけど。

「アリア君冷たいねぇ…。あ、それより例の買収の件、どうなった?」
「株価が変動したことで少し揉めましたが、別件問題をちらつかせたら承諾しました」
「さすがアリア君!頼りになるなぁ!」
「筋書きを書いたのはロイド専務ご自身でしょう…」
「そうだっけ?ま、そっちが片づいたのなら、今度は閉鎖した工場の売却だね。こないだ売却先リスト渡したろう?どう?いけそう?」
「はい、なんとか。でもいったいいつの間にあれだけのリスト先と交渉を…?」
「ひ・み・つ」
「ロイド専務…!」
「ああ、はいはい、そんな眉間にシワ寄せちゃだめだよアリア君。お嫁に行けないよ?」
「余計なお世話です!」 

 詮索されるのが嫌で誤魔化しているのは承知の上だ。
 これ以上話して彼女の不機嫌度をあげる気は更々なく、そこで事務的な会話を終わらせて携帯をとりだし、株価や最新のニュース関連のチェックを始めた。
 小さい頃病弱だった僕の体は、成長と共にほぼ健常者と変わらなくなったこともあり、今では父親の会社を継ぐため専務取締役に就任させられている。
 絶大な権力を握る父親の存在は大きく、僕にそれを拒否する権利などありはしなかった。
 社長としての名前はあったが、父親が会社に顔を出すことはまれで、実質、社長としてこなすべき実務は全て僕の仕事になっていた。
 煩雑で面倒な仕事から逃れた父親は、悠々自適で国の権力者たちとの交流を深め、相変わらず裏では犯罪まがいのことにも手を染めている。
 一方、僕の方はと言えば、世情を渦巻く不況の波には太刀打ちできず、枝葉を伸ばしすぎた子会社の統合や売却、新たな打開策を打ち出すための買収…と、息つく暇もないほど忙しい。
 小さい頃のまま病弱だったら、どうなっていただろう?
 ふと、そんな思いに捕らわれて、今朝がた見た夢のことを思い出した。
 あの頃、遊び相手に…と雇ったジギーは、怪我が完治したとはいえ、右頬に目立つ十字の傷跡が残ってしまった。
 周りの大人たちにそれとなく怪我の事を聞き出した結果、ジギーが居た孤児院代わりの教会が悪質な詐欺にあい、背負った借金のカタに土地と建物を差し押さえられたらしかった。
 そこへ父親が絡んだ土地買収で強制立ち退きを迫られ、やってきたヤクザ者達相手にジギーが奮戦、あの怪我を負うことになったのだと知った。
 そのことが警察沙汰になり、悪質な詐欺のことまで明るみにでそうなったため、買収の話は立ち消えになった。
 だが、詐欺とはいえ教会が負った多額の借金は消えなかった。
 その借金返済のため、ジギーは僕の所で働かなければならなくなったのだ。
 そんなことを回想しているうちに、車は本社ビルの地下駐車場入口へとさしかかった。
 途端…!

「キャ…ッ!」

 アリア女史の悲鳴に近い叫び声と共に、車が急ブレーキをかける。
 勢い浮きかけた体を何とかシートに沈め、何事かと見ると、急な横入りをしてきた車が駐車場へと入っていくのが見えた。

「あー…あれは…」
「カリブス・ガラード…!」

 まるで地の底から聞こえる怨念の様な声音で、その車に乗っていた人物の名前をアリア女史が告げた。
 ハンドルを鷲掴みにして駐車場へと消えた車の残像を見据えるその背中からは、今にも湯気が上がりそうな怒りのオーラが見て取れる。
 カリブス・ガラード…以前の上司で、今は僕より階級的には一つランク下・5人からなる常務取締役・理事の一人だ。
 その関係は、はっきり言って、史上最悪。

「なんなの!!あの傲慢男!!ワザとらしい横入りするなんて!!」
「あー…はは…アリア君?抑えて抑えて…、ね?」
「抑えられません!あんな男、とっととクビにしてしまって下さい!!」

 運転席から振り返って言い募るその顔は、まさに鬼の形相。
 どうにも彼女とガラード常務は、まさに水と油…自他ともに認める天敵同士なのだ。

「無茶言わないでよアリア君、階級的には僕が上だけど、親の七光りでこの地位にいるだけで…」
「何言ってるんですか!あんな傲慢男よりロイド専務の方が実力は上です!」
「身に余るお褒めの言葉ありがとう。けど、ほら、早く駐車場に入らないと後ろが詰まってきてると思うんだけど?」

 今は朝の出勤ラッシュの時間帯、入口で止まってしまった車の後ろには、数台の列が出来上がっていた。

「ッ、覚えてなさい…!」

 ガラード常務への捨て台詞を僕に向かって言い捨てたアリア女史に、思わず苦笑いが浮かんだ。

「それを僕に向かって言うかなぁ〜」
「言われたくなければ、とっとと正式に社長になってください!!」
「ええ!?朝っぱらから冗談きついよ、アリア君!」
「冗談なんかじゃありません!私の本心です!」
「うわぁ…」

 降参の意を表して軽く両手を掲げ上げてその話を終わらせると、車を降り、最上階フロアにある専務室に上役専用のエレベーターで向かった。
 地下から地上にでた途端ガラス張りになるエレベーターからは、周囲に立ち並ぶオフィスビルがよく見える。
 都内の一等地に建つこのビルも、父親が昔どんな手段で手に入れたんだか…考えるのも嫌になる。
 僕が専務に就任するまでは、父親のワンマン経営。
 不況による経営不振は、強引な事業廃止に伴う工場の閉鎖、従業員の切り捨てで乗り切るような、独断と偏見に満ちた経営方針だったと言って過言じゃない。
 昇進するのはゴマすり上手で口先だけの、使えない人間ばかり…アリア女史が本心だと言い切ったのは、こんな背景があったからだ。
 とりあえず下っ端の営業から会社に入り、そんな社内状況も目の当たりにし、これはどうにかしなくては…!とは思ってきた。
 とはいえ、父親の独断で入社3年後に専務就任させられれば、周囲のやっかみや風当たりは相当きつい。
 先ほど急な横入りをしてきたガラード常務は、その筆頭だ。
 なにしろ僕を専務にするために、彼は謂れのない難癖を父親から付けられて、専務から常務へと降格させられてしまったのだから。

「あ…そういえばアリア君、こないだのジギー、あれ、君の仕業?」

 専務室に入りパソコンを立ち上げながら、隣の秘書室へ向かおうとしていたアリア女史の背中に問いかけた。

「…なんのことでしょう?」

 にっこりと振り返った麗しい笑顔…先ほどの憤怒の表情を浮かべた人物と同一人物とは、到底思えない。

「言い方を変えると、僕が取ってきてくれるように頼んだ書類、特に急ぐわけでもなかったのに、わざわざバイク便使わなかった?ってこと」
「さぁ…?ただ先方から書類の受け渡しについて聞かれたので、そちらのミスで渡し損ねたのですからそちらが最善と思う措置でお願いします…とは言いましたけど?」
「…なるほど。で、ジギーのバイト先であるバイク便の会社も参考までに教えたと…?」
「そうだったかしら…?」

 小首をかしげて考える振りも板についてて、小憎らしいほどだ。
 先日、アリア女史が席を外している時届いたバイク便があり、仕方なく僕が直に受け取ったのだが…そのバイク便の配達員がジギーだったのだ。
 ちょうどその頃僕は残業続きで帰宅時間が遅くなり、世話役であるジギーには夜10時を過ぎても帰ってこなければ、自宅でもある孤児院兼教会に戻るように言ってあった。
 だからその数日間、ジギーと顔を合わせるのは朝の出勤前の数時間だけで、夕食も一緒に取れていなかった。
 ドアを開けて入ってきたジギーは、驚く僕の前に携えてきた書類を差出したかと思うと、「迎えに来ます」といきなり言った。
 意味が分からなくて、「え?」と聞き返す間もなく受け取りのサインを!と、受取書にサインさせられ、胸元にその書類を押し付けられ…いつものジギーの真っ直ぐに射るような視線を注がれた。

「迎えに来ます。仕事が終わるまで待っていますから」

 そう告げたかと思うと、ジギーは僕の返事も聞かずにドアを出て行ってしまった。
 以来、残業になってしまった日は、必ずジギーがバイクで僕を迎えに来て一緒に屋敷に帰り、一緒に夕食を取るようになった。
 ジギーが待っていると分かっているのに遅くまで残業なんて出来るはずもなく、僕の残業時間はめっきりと減ることになったのだ。

「君はホントに優秀な秘書だよ…」
「ありがとうございます。自分の体調管理も仕事のうちだということをお忘れなく」
「はいはい」

 苦笑いを浮かべつつ、秘書室へと消えるアリア女史のピンッ!と伸びた背中を見送った。
 その背中にジギーが重なる。
 真っ直ぐな、あの、ぶれない背中が…。



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