Wish
act 3
 朝一に始まった役員会議は、これまでに閉鎖された工場の売却や、焦げ付いている不動産の整理、大規模リストラの見直し…と論議が紛糾して長引き、終わったのは昼食時間をとっくに過ぎた頃だった。
 最終的には僕の提案したプランを渋々ながら常務たちが認め、会社全体でなんとか今までの方向性を修正し正しい軌道に乗せるための第一歩を踏み出せた感じだ。

「あー…疲れたぁ…」

 重厚な専務用の椅子に浸かるように身を沈め、せめてもの気晴らしに…と、窓の方へ椅子を回して景色を眺める。
 今日は朝から晴天に恵まれ、透けるような青い空に目を眇めた。

「お疲れ様です」

 背後からかけられたアリア女史の声と共に、コーヒーが差し出される。
 アリア女史の淹れるコーヒーは、僕の中で二番目に美味しいコーヒーだ。
 一番美味しいコーヒーはジギーが淹れてくれるコーヒーで、これはいまだに不動のものだ。

「ありがとう。とりあえず第一歩…ってとこかな」
「そうですね、おめでとうございます。それにしても…」

 ふと言葉を切ったアリア女史の表情が、今どれだけ複雑で微妙なものであるか…振り向いて確認するまでもなく僕にはよく分かっている。
 なにしろ、最後まで僕のプランは難癖をつけられ、これまでの会議の時と同様今回も却下されるはずだった。
 それを最終的に認めさせるきっかけを作ったのが、あの、ガラード専務だったのだ。

「…やりたいって言うんなら、やらせてみるのも一興だな。お手並み拝見といこうじゃないか…なぁ、ヘイズル?」

 冷徹な瞳と冷ややかな笑みを浮かべてそう言ったガラード常務の一言は、一瞬でその場に居た他の常務たちの態度を軟化させた。
 ガラード常務と常に行動を共にしているヘイズル・バレンタイン常務がその言葉を肯定し、「おもしれぇ!のった!!」といつもの大声量で上げた気勢が決定打だった。

「ガラード常務のこと?意外だった?」

 目を眇めて眺めていた青空から、地上のビル前広場へと視線を移動しながら問いかけた。

「あたりまえでしょう!って、意外だった?って…?」
「うん。あの人…僕なんかよりよっぽど社長向きだと思わない?」
「思いません!!大体今日のことにしたって、後で妨害するのを楽しむために決まってます!!」
「はは…まぁそれはそうなんだけどね…」

 背後で憤慨するアリア女史をそれ以上刺激するのはやめておこう…と思って、その先の言葉は呑み込んだ。
 今までガラード常務が仕掛けてきて妨害策は、他の常務たちの嫌がらせとは全く違い、はっきり言って僕の処置の甘さを容赦なく突きつけてくるものだった。
 それに気が付かされていなければ、後でどれほど手痛いしっぺ返しを食らっていたことか…と冷や汗をかいたことは一度や二度じゃない。
 仕事に対する冷徹さと正確さにかけては右に出る者がいないほどの切れ者…だからこそ専務という椅子にまで登りつけたのだ。
 それだけでなく、ヘイズル常務という片腕がいることで、下の者からの人望もある。
 冷徹で容赦のない性質のガラード常務に、人望と人からの信用を踏まえた点で進言するヘイズル常務。
 敵に回せば史上最悪だけど、味方につけられればこれ以上ないほどの人材。

 そう。
 彼らの存在を知った時、どれほど僕が喜んだことか。
 僕の計画に彼らの存在は必要不可欠だったのだから。

「…どうかなさいました?」

 不意に落とされた影に、ハッと顔を上げた。
 俯いたまま黙り込んでしまった僕の顔を心配そうに覗き込むアリア女史に、知らないうちに噛み締めてしまっていた口元を緩めて笑顔を作った。

「あ…ごめん。眠気と闘ってた」

 笑いながらそう言った僕の顔を、アリア女史がジ…ッと見据えてくる。

「な…にかな?」
「…いえ、お疲れなら今日は早めに切り上げてお帰りになった方が…」
「嫌だな、大丈夫だよ。それよりお腹すいてない?下の広場にいる車、「ピンクエレファント」に見えるんだけど違うかな?」
「え?あら、ほんとだわ!」

 嬉々とした声を上げたかと思うと、さっきのことなど忘れたような笑顔を浮かべて、アリア女史が窓から下の広場を覗き込んだ。
 気を付けているつもりで…たまに勘の鋭い彼女にドキっとさせられる時がある。
 まだ僕の計画を知られるわけにはいかない…気を抜かずに行かなくては。



  それからすぐにアリア女史と二人で下の広場へと向かった。
 「ピンクエレファント」とは、このあたりのオフィスビルを不定期に訪れるハンバーガーの移動販売車のことだ。
 店名通りなピンク色の車体は、一目見たら忘れらないインパクトがある。
 店長はエミューという、どこか掴みどころのない飄々とした男。
 以前は飲み屋街の小さな一角で、気まぐれにバーガーを作って販売していた。
 その味が気に入って、僕が出資して移動販売形式での販売を始めさせたのだ。
 ただ単に昼食に美味いバーガーが食べたい…というワガママからだったのだが、そのボリュームと味の良さから、今では行列ができるほどの超人気店に成長している。
 ランチタイムを過ぎた広場は閑散としていて、「ピンクエレファント」の前にも人影はない。
 販売するバーガーは1種類だけなので二人分を注文すると、アリア女史は少し離れたところにあったデザートを販売する移動販売車へと駆け寄って行った。

「エミュー君、久しぶり。最近来ないから心配してたんだよ?」

 手早くパテを焼き上げる仕草を車に取り付けられたカウンター越しに見つめながらそう言うと、エミューの口元がわずかに上がった。

「…ちょっと官庁街にいい上客がついたもので」
「へぇ…僕の昼食の楽しみを奪ってくれただけの価値があるのかな?」
「ええ、気に入っていただけると思いますよ」
「ふぅん…いくら?」

 言いながら3本ほど指を立てる。
 それをちらっと流し見たエミューが、軽く焦げ目の付いたパテをヒョイッとひっくり返した。

「もうあと2本ほど」
「うわぉ…!高いバーガー代だね。じゃ、いつものところに振り込んでおくから」

 背後から駆け寄ってきたアリア女史の足音を合図に会話が終わる。
 もともとエミューと知り合ったきっかけは、表だっては決して出回らない非合法な情報搾取の手段を模索していたことだった。
 彼の得意分野は企業や官公庁へのハッキング。
 移動販売車の内部には所狭しと電脳設備が据え付けられ、まさに移動するハッカーの城塞。
 特に彼が開発した、他人のPC内部に侵入し全ての情報を盗み見ることが出来るソフトには、この「移動」出来ることが最重要事項だった。
 盗みたい情報の入ったPCがネットに接続する事に乗じて侵入を果たす…Wi-Fi等の無線ランが常識になったからこそ可能になったその技は、侵入したいPCが接続するラン回線情報を傍受出来る距離に居ることが必要不可欠だったからだ。

 焼きあがったパテをバンズに挟み、手早くバーガーを完成させたエミューが、二つ分のテイクアウト容器にそれぞれ入れる。
 最後に客の好みで5種類ある特製ソースから一つを選んでもらい、容器上部に貼り付けたら完成だ。
 アリア女史は女性に一番人気の甘酸っぱいフルーツビネガーソース、僕はスパイシーなペッパーソース。
 出来立てのバーガーを上機嫌で受け取ったアリア女史の手には、別の店でも買ったらしきデザートが結構な量詰め込まれていた。
 エレベーターで専務室に戻りながら、思わず聞いた。

「…アリア君?そんなに食べるの?」
「ち、違います!これは家に帰ってボルトと食べる分も入ってるんです!!」

 ちなみにボルトとは、彼女が飼っている犬の名前だ。

「…犬って甘いもの食べさせていいんだっけ?」
「ボルトが食べるのは犬用のクッキーですからご心配なく!」
「…つまり、それを食べるのは結局…」
「あ、ほら着きましたよ、ロイド専務!早く食べてしまって下さいね、次のスケジュール20分後ですから!」

 ごまかしているのが見え見えな態度で言い放ったアリア女史が、秘書室へと駆け込んでいく。
 甘いものって別腹なんだろうなぁ…と意外に可愛いアリア女史の一面に口元が緩む。
 そういえばジギーもああ見えて甘いものに目がない。
 男が甘いものなんて…と思っているのか、興味がないと言わんばかりの態度を取るけれど、幼いころからずっと一緒にいる僕にはバレバレだ。
 猫下で熱いものは苦手だし、お酒も弱くて飲むとすぐに寝いってしまう。
 やっぱりジギーは可愛い。
 ジギー用にアリア女史に頼んで何か一つ買っておいてもらえばよかったな…と、ちょっと後悔しつつ椅子に座りバーガー容器を手に取った。
 ソースをはがしてふたを開けると、その裏側にもう一つ何かが張り付けてある。
 さっきエミューから買った情報の入った端末だ。
 取り出したバーガーに噛り付きながら、端末をPCに差し込んで情報を開いた。

「え…!?」

 思わず噛り付いていたバーガーを落としそうになって、慌てて掴みなおす。
 画面いっぱいに表示された情報は、僕が長年探し求めていたもの…!
 あのバカ高いバーガー代でも釣りがくる。

「は…!」

 思わず乾いた笑いが漏れた。
 ジギーと出会った事で練り始めた計画だった。
 いつか来るその日のために…と用意周到に必要なコマを集め、その準備を整えてきた。
 そして今、それは申し分なく整ったと言える、まさに最上な時期…!

 …ああ、そうか。あの夢はこれを…

 ジギーと初めて会ったあの日のことを、どうして今になって夢になんて見たのか…。
 その答えがこれか…と、妙に納得した。

 待っていたはずだった。
 この日が来ることを。

 なのにどうだろう?
 今、自分が取ったこの行動…無意識に指先が動いて画面表示を消し、端末を抜き取って机の上に無造作に転がしている。
 さっきまで感じていたはずの空腹感も一瞬でどこかへ吹っ飛び、代わりに重苦しい鉛のような何かが胸のあたりにせり上がってきつつあった。
 その原因が何なのか…もうとっくの昔に分かっている。
 分かっていて、見て見ぬ振りをしてきたのだ。

 けれど、もう、後戻りはできない。
 全てのコマを回さなければ。

 一つ深呼吸をして、せり上がってきたはずのモノを押し込め、まるでそれに蓋でもするかの様にバーガーを胃の中へ落とし込んで食事を終えると、ある人物に電話をかけた。
 電話の相手は、僕の主治医であり幼馴染のドクター・サンダーランド・ジュニア。
 もともとは彼の父親が僕の主治医だったのだが、彼が作った薬のおかげで僕の病状が飛躍的に改善したことから、自然と主治医は彼へと移行した。
 昔から研究一筋の変わり者で、今でも大学の研究所の一室を借りて研究に明け暮れている。

「やあ、ドクター。久しぶり、元気だった?」
「ロイド…!元気だった?じゃない!こないだの定期健診サボっただろ!」
「あ…そうだっけ?最近仕事が忙しくってねぇ…」
「ったく!その様子じゃ大丈夫そうだが、健診の再依頼ってわけでもないんだろう?要件はなんだ?」
「前にドクターが、どこかに研究に没頭できて資料をごっそり収納できるような広い物件ないかな?って言ってただろう?それ、いいのが出そうなんだけどどうかな?て思って」
「本当か!?だったら是非!実は大学からもそろそろ研究所を明け渡せ…ってうるさく言われててね」
「了解。じゃあ資料が整い次第そっちに送るから」
「ああ、頼んだぞ!」

 そう言って電話を切った心底ホッとしたようなドクターの声音に、苦笑が浮かんだ。
 送られてきた資料を見たら、彼はどう思うだろう?
 きっと、何の冗談だ!?と怒鳴り込んで来るに違いない。
 でも、それが僕にできる唯一の、彼に対する感謝の気持ちの表れだ。
 ドクターの研究がなければ、おそらく僕はこの年まで生きてはいないのだから。



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