Wish
act 4

「ふー…これで打てる手は全部打ったってとこかな」

 作業をしていたPCの画面を終了させ、大きく伸びをした。
 あれから、エミューから買った端末情報をコピーすると、それまで得てきた情報も付け加えて編集し、とある場所へ送りつけておいた。
 そして、今まで集めてきた情報もそれぞれに、ふさわしい場所へ。
 ことが動いた時、その情報は送付先によっては脅しとなり、これ以上ない利になる。
 明日は土曜日だから、動きがあるのは週明けになるだろう。
 動き出す正確な日付は、エミューが掴んでくれる。
 僕が動くのは、それからでも十分間に合う…もう既にその準備は十分すぎるほど整っていた。
 時刻を見ると、もう夜の10時になろうとしている。
 明かりがついているのは僕がいる専務室だけなので、ビルの警備員に連絡して帰ることを伝えた。
 秘書であるアリア女史は定時に帰宅し、きっと今頃はボルトと仲良く夜のデザートタイムを満喫しているはずだ。
 ビルの夜間出入口まで降り、警備員と挨拶を交わしてドアを開けると、いつもの見慣れたシルエットに足が止まった。

「…遅くまでご苦労様です、ロイド様」
「やぁ、ジギー。君こそ毎日遅くまでご苦労様」

 思わず苦笑がもれる。
 ジギーは朝一から昼まで僕の身の回りの世話と無駄に広い屋敷の掃除やメンテをし、それからバイク便のバイト、終わったら孤児院も兼ねている教会の手伝い、その後に僕の夕食の準備までこなしている。
 朝から晩まで息つく暇もない忙しさだ。
 それもこれも、全て借金返済のため。
 ジギーには、自由な時間など皆無に等しかった。

「何度も言うようだけど、僕の迎えになんて来なくてもいいんだよ?タクシーだってあるんだし」

 そう言うと、フ…とジギーの視線が僕から外れ、目を細めてバイクをバイクの背を撫でる。
 その顔は本当に穏やかで嬉しそうで…滅多にそんな顔をしないジギーだけに、僕にとっても希少な鑑賞物だ。

「このバイクをロイド様から頂いた時に言ったはずです。必要なときにはいつでも呼んでください…と」

 ジギーが乗るバイクは、僕がプレゼントしたものだ。
 昔から自分の好きなものや欲しいものを決して口に出さないジギーだったけれど、ほんのちょっとした仕草やわずかな表情の変化で、僕にはそれがなんとなく分かる。
 ジギーがバイクに興味を持っていることに気づいてからというもの、それを手に入れた時のジギーの喜ぶ顔が見たくてたまらなくなった。
 高価なプレゼントだけに、何か理由がない限り受け取らないだろう…と頭をひねり、僕に何かあった時すぐ駆けつけられるようにするためだからと、無理やり納得させて受け取らせたのだ。

「ええ…と、今回のことは僕が呼んだわけじゃなかったと思うんだけど?」

 ちょっと意地悪く問い返すと、不意にジギーの顔が上がり僕を射すくめるような視線で捕えた。

「あなたが忙しすぎるからでしょう!?」

 いつにない激しい口調に思わず一歩後ずさった。

「え!?」
「毎日毎日、帰ってくるのは深夜過ぎ、その上朝方近くまで持ち帰った仕事までして…!」
「え…?」
「そんな生活していたら、またいつ持病が再発するか…!」
「ちょ、ちょっと…!」

 ジリジリ…とジギーの体が前のめりになり、さらに一歩後ずさった僕に、ジギーが容赦なく言い募る。

「だいたいあなたは昔から自分のことに対してあまりにも無頓着過ぎで…っ!」
「ちょっと待った!!」

 責めるように詰め寄るジギーを押し返し、それ以上小言を言われてなるものか!と、その口を片手で塞いだ。
 驚いたように瞳を見開いたジギーの顔が、勢い、ものすごく近くなる。

「どーしてそんなことを知ってるのかな?」
「…?」

 問いかけの意味が分からない…と、見開いていたジギーの瞳が細くなる。

「どーして僕が帰っていたのが深夜過ぎで、しかも朝方まで家でも仕事してたって知ってるのかな?って聞いてるんだけど?」
「!!」

ハッとしたように再びジギーの瞳が見開かれた。

「ひょっとして、僕が帰ってくるまで見張ってたりしたのかな?ついでに部屋の明かりが消えるまでずっと見ていたりとか…?」

 ジギーの瞳が狼狽えたように揺れ、見つめる僕の視線から逃げる。
 もうそれだけで僕の推測が正しかったと言っているようなものだ。

「…まったく君は、」

 盛大にため息を吐きながらジギーの口を塞いでいた手を下ろし、思わず昔のように腕組みをしてジギーを見据えた。
 ジギーはと言えば、さっきまでの威勢の良さはどこへやら…幼かった頃そのままにすっかり項垂れてしまっている。

「どうしてそういうことをするかな?そんなに僕のことが信用できない?」

 ふるふる…と、否定の意を込めて微かにジギーの項垂れた頭が横に振られる。

「じゃあどうして、そんなストーカーまがいのことを?」
「…」

 答えたくないのか、ジギーは黙ったままだ。
 こういう所は本当に幼いころから何も変わっていない。

「ジギー!」

 ちょっと強い責め口調でその名を呼ぶ。
 そうすると、たいていジギーは嫌々ながらも答えを返す。

「…ん…ぱい…だったから」

 ほら、やっぱり…とは思ったが、よく聞き取れなくて聞き返した。

「え?」

 すると不意にジギーが項垂れていた顔を上げ、僕を真っ直ぐに見つめてくる。

「心配だったからです、いけませんか?」
「っ、」

 小さく息を呑んだ。
 本当にジギーは昔から全然変わらない。
 純真で真っ直ぐで…口にする言葉に嘘がない。
 僕のことをそんな風に心から心配してくれるような人を、僕はジギー以外知らない。
 その言葉と気持ちは、泣きたくなるくらい嬉しい。
 でも。

「ジギー、僕はもう子供じゃないんだ。そんなに心配してくれなくていい」

 嬉しいと思った気持ちに蓋をして、あえて呆れたような口調で言った。

「それは…そうですが、でも…!」

 ジギーの瞳が思案気に揺れ、強がりつつもどこかすがるような色合いを浮かべる。
 本当なら、もっと早く突き放して、距離をおくべきだったのに。
 それなのに。
 そんな瞳を向けられると、いつも無意識に手が伸びてその髪を撫でつけてしまっている。
 子供を宥めるようなそんな仕草をされて怒ってもいい年頃なはずなのに、それを彼が拒絶しないほどの慣れを与えて。

「…僕も君のことが心配なんだ。だから僕に合わせて無茶はしないこと。いいね?」
「…はい」

 ぐしゃぐしゃと髪をかき回すと、ジギーはいつもその動きに合わせて俯き加減に目を閉じ、素直な返事を返してくる。
 その仕草はまるで従順なネコみたいで凄く可愛くて…。
 つい、口元が緩んでしまう。
 これだからダメなんだ。
 分かっているはずなのに、いつまでたっても僕はジギーが手放せない。

「さ、帰ろう。お腹減ったよ」

 コクリ…と声のない返事を返すジギーの頭を、最後に軽くポン…と触れる。
 触れていた温かなジギーの髪の感触を惜しみつつ、いつものように手渡されたヘルメットを被ってバイクの後部シートに座った。

「しっかり掴まっていてください…!」

 ジギーが言い終えるかどうか…という間にバイクが急発進する。

「うわ…っ」

 一瞬浮きかけた体を、慌ててジギーの腰に腕を回して固定する。
 いつもながら荒っぽい運転だ。
 でも、まぁ、おかげで僕はいつも腰に回した腕に力を込めることが出来る。
 昔は一瞬で庇護欲を掻き立てられたほどだった細腰も、今ではがっちりとした筋肉に覆われて、庇護など必要のない青年のものへと成長している。
 僕がもう子供でなくなったように、ジギーももう子供ではなくなった。

 …本当にね…もういい加減ここらが限界、だよね?

 自分自身への問いかけ。
 答えはもうとっくに出ているはずなのに、ずるずる…と決断を下すことから逃げ続けてきた。
 理由は…分かっている。
 回した腕の中にある、この温もり。
 この温もりを失うこと。
 それが、辛すぎる。

 だから僕は全てのコマを回したのだ。
 もう二度と後戻りできないように。

 屋敷に着いて、ジギーが用意してくれていた夕食を一緒に取ると、もう時刻は深夜になろうとしていた。
 僕が風呂から出るまで待っていたジギーが、僕の姿を見るなり「ああ、もう、また!」と威勢よく叫んだかと思うと、今出たばかりの脱衣所に引っ張り込む。

「ちょ…、ジギー!髪くらいすぐ乾くからいいって!」
「ダメです!風邪でも引いたらどうするんですか!」

 強引に僕を脱衣所の大きな鏡の前に座らせ、ドライヤーとブラシを駆使して濡れた髪の毛を丁寧に乾かし始めてしまう。

「ジギー、そんなことしている暇があったら早く帰って休んだ方がいいと思うんだけどな?」
「あなたが早く休む方が先です!なんなら、きちんと寝るまで見張っていましょうか?」

 鏡越しに見据えてくるジギーが真剣な表情でそんなことまで言ってくるものだから、思わず苦笑が浮かんだ。

「ちょっとジギー、そこまで子ども扱いするのはどうかと思う」
「子ども扱いしてるわけじゃありません、本心です」
「え…?」

 不意にドライヤーの音が消え、ドライヤーを持った手とブラシを持った手が僕の両脇に置かれた。
 立ったままのジギーの体温が、椅子に座る僕を背後から覆い被さる様に背中に押し当てられる。
 その温もりに、不覚にも心臓がドクンと跳ねた。

「…何かあったんですか?」

 鏡越しに僕を真っ直ぐに見つめ、ジギーが問いかけてくる。

「なに…?」
「今日のあなたは、どこかおかしい」

 その言葉に、ジギーからは見えない膝の上にある指先に力がこもった。
 マズイことにジギーに捕えられた視線が外せない。
 ここで少しでも動揺を見せてしまったら取り返しがつかない。

「おかしい?僕が?どんな風に?」

 力を込めた指先が冷たくなっていくのを感じながら、鏡に映る自分の口元にさも可笑しいと言わんばかりの笑みを浮かべる。
 こういうのは昔から得意だ。

「どこがどう…というわけじゃありません。ただ、なんとなく…」
「なんとなく?」
「…イライラする」
「は…ぃ?」

 一瞬で指先から力が抜けた。

「ちょっと待ってよ、ジギーがイライラするのが僕のせいなの?」
「そうです」
「えー…」

 考えていることを見透かされたわけじゃないのか…と安心したのも手伝ってか、本気で呆れた…という顔つきになった自分が鏡の中に居る。
 そんな僕を鏡越しに捕えて離さないジギーの視線が、不意に険しくなった。

「特に、さっきの笑った顔」
「っ、」

 虚を突かれるとはこのことだろう。
 わずかに瞳を揺らしてしまった。
 それを見逃すはずのないジギーの瞳が眇めるように細くなる。

「…何を考えているんです?」

 その口調は確かに苛立ちを含んでいた。
 どうしてジギーには見透かされてしまうんだろう。
 どうしてもっと上手く立ち回れないのか。

「…ジギーがイライラするくらい僕はおかしいみたいだね。じゃあ、明日と明後日はきちんと休むことにするよ」
「は?」

 いきなりの話題転換にジギーの瞳が瞬いた。

「実は迷っていたんだけど、決めた。この土日は何もせずにダラダラ過ごす!その代り月曜日からは3日ほど出張して仕事を一気に片づける!」

 ここ何ヶ月か僕は土日も家で仕事をして過ごしていたから、ジギーにとってそれは例えその場しのぎの誤魔化しだったとしても容認せざる得ない…と判断したんだろう。
 あきらめにも似たため息を吐きながら、再びドライヤーのスイッチが入れられた。

「…分かりました。では俺も付き合います」
「え?いや、ダラダラ家で過ごすだけだから…」
「付き合います」

 僕の意思など聞く耳持たないというのが丸わかりの、断定口調。

「…分かった。でも、朝はゆっくりでいいよ」
「寝ている邪魔はしませんが?」

 ドライヤーが止まり、仕上げに整えるようにブラシがゆっくり髪にあてられる。
 どうせ寝るんだからそんなことする必要ないのに…と思いつつも、その心地よさに思わず目を閉じた。

「僕じゃないよ、ジギーにゆっくり寝てほしいって言ってるんだ」
「それは無理ですね」
「どうして?」
「あなたがいつ起きるのか分からないのに、悠長に寝てられないでしょう」
「はは…なにそれ。じゃあ一緒に寝ない限りジギーにゆっくりしてもらえないってこと?だったら泊まっていけばいいのに」

 そう言った途端、触れていたブラシの動きが止まった。
 あれ?と思って目を開けると、僕と視線を合わせるのを避けるように慌ててジギーが反転し、ドライヤーとブラシを戸棚に仕舞い込む。

「ジギー?」
「明日はなるべくゆっくり来ますので…!では、おやすみなさい…!」

 いつもならきちんと僕の顔を見ながら挨拶するくせに、顔を合わせることなくまるで逃げるようにジギーがドアを出て行った。
 いつもより早い足音が玄関ドアの開閉の音と共に消える。

「…なに?僕なんか変なこと言っ…」

 言いかけて、さっき言った言葉を反芻する。
 どうやら、無意識に自分の願望を口に出してしまったらしい。
 さっきのジギーの行動は、拒絶なのか照れなのか…。

「拒絶…っていうか、困ってる?あぁでも実際困ってるのは僕の方なんだから、たまにはいいよねぇ」

 ふぅ…と漏れてしまったため息と共に、さっきまでジギーの指先が触れていた髪に手をあて、背中に直に感じた体温を思い出す。

「…困るんだよねぇ、本当に」

 ドクンと跳ねてしまった心臓に、やっぱり…と自覚するようになったのはいつからだったろう。
 のろのろと立ち上がり、2階にある自分の部屋に入って明かりをつけると、いつものように書斎机の椅子に腰かけた。
 自然と視線が机の一番端にある引き出しに吸い寄せられる。
 一番上にある、鍵付きの薄い引き出し。
 そこに鍵をかけたのは…もう10年位前になる。
 椅子に座ったまま腕を伸ばせば届く壁の隅に、部屋の鍵やちょっとしたものが引っ掛けられる年代物のボードがあり、そこにこの引き出しの鍵も無造作に引っ掛けてあった。
 鍵付きでありながら、鍵の意味をなさない置き場所。
 僕がわざとそうしたのだ。
 ジギーの目の前で引き出しに鍵をかけ、その鍵をそこへ掛けた。
 僕が居ない時に開けようと思えばいつでも開けられる…開けていいよ、という意味を込めて。
 でも、ジギーは開けなかった。
 開けて欲しいとも言わなかった。

「…開けるのは、やっぱり僕の役目かぁ」

 漏れてしまった独り言に、ジギーに開けてもらいたかった…自分の姑息な考えを思い知り、口元が歪む。
 腕を伸ばして掴んだ鍵には、ホコリひとつ付いていない。
 ジギーらしく掃除の行き届いた結果なのか、それとも…たまにはその鍵を手に取った事があったからなのか。
 長い間使ったことがなかったくせに、引き出しの鍵はカチン!と軽くその役目を終える響きを響かせた。
 ゆっくり引き開けた引き出しの中には、数枚の書類。
 これを手に入れたのは、まだ僕が学生だった頃。
 ドクターの開発した薬が功を奏し、健常者とほぼ変わらぬ日常生活が送れるようになった頃だった。
 何とか使える人間になったのを見て、将来使い物になるかどうかを試したかったのだろう…父親からある提案を持ちかけられた。
 資金を渡され、それを運用してみろと。
 僕はそのチャンスを無駄にすることなく株取引で期待以上の利益をだし、上機嫌だった父親からその書類を買い取った。
 いつかきっと手に入れてやろう…と目論んでいた、それを。

「…ようやく、渡せる」

 呟いた言葉は、本心。
 それを手に入れてからずっと感じ続けていた罪悪感ごと、ようやく。
 書類を取り出しで封筒に入れると、別の引き出しから少し分厚い書類も引っ張り出す。
 それを一つにまとめて大きめの頑丈な封筒に詰め、それを送る相手に短い手紙も書いて一緒に入れ、封をした。
 あとは、これを託せばいい。
 送る相手はドクター・サンダーランド・ジュニア。
 こんな身勝手なことを頼める、唯一の人。
 僕とジギーの関わりをずっと見てきた彼ならば、僕が下したこの決断を理解してくれるだろう。
 きっと、怒らせてしまうだろうけど。




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